宗祖日蓮大聖人(1222〜1282)は、末法(現代)とは、人心が乱れ仏の教えが正しく伝わらない時代であり、その時、法華経こそが唯一の救済の法であると説かれました。そして幾多の法難に遭われながらも末法に生きる全ての命のため、法華経を世に広められたのです。
|
|
貞応元年(1222) |
安房小湊にてご誕生 (2月16日) |
嘉禎3年(1237) |
清澄山にて出家
是聖坊蓮長と名乗る(16歳) |
延応元年(1239) |
鎌倉にて浄土教を学ぶ(18歳) |
仁治3年(1242) |
比叡山遊学のちに奈良、高野山にて遊学
(21〜32歳) |
建長5年(1253) |
清澄山にて立教開宗(4月28日)(32歳) |
文応元年(1260) |
鎌倉幕府に「立正安国論」提出、
松葉が谷草庵焼き討ち(39歳) |
弘長元年(1261) |
伊豆伊東に流罪(40歳)
「四恩抄」「教機時国抄」を著す |
文永元年(1264) |
安房国小松原にて法難、負傷する(43歳) |
[この後、上総の国鷲の巣村(後の長國寺の本山である鷲山寺)へ] |
文永8年(1271) |
佐渡へ流罪(50歳)
「開目抄」「観心本尊抄」を著す |
文永11年(1274) |
身延入山(53歳)
「撰時抄」「報恩抄」を著す |
弘安5年(1282) |
武蔵国 池上にて入滅(61歳) |
|